この世界での役割
天国での神の子の役割は愛の延長。
愛を広げていくこと。
では、夢の中のこの世界での
私たちの役割は
「ゆるし」
何かが起こっているように見えるこの世界の出来事をゆるし
取り消していくこと。
本当はすべては愛の体験だったんですね。
分離なんてない、比較なんてできない
一つの光だったんですね♡
という視点に戻ること。
地上天使として、
愛を差し出していきたいと思います♫
今日は奇跡を体験させてもらいました。
聖霊に委ね、
愛を差し出し、分かち合うこと。
やることはそれだけなんだなぁと思いました。
自我の判断は本当に要らないし
誰も幸せにしないです。
戦いのリングから降りて
愛を差し出してみてください😊
オススメ♫
与えたものが受け取るもの
レッスン108
与えることと受け取ることは本当にひとつです。
今日のレッスン。
とてもシンプルでありながら
深いレッスンです♫
今日、あなたはみんなに何を差し出しますか?
(行動や形は関係ないです。
お金をあげるとか、ゴミを拾うとか
そういうことではないです)
ワークブックの中には
「みんなにわたしは静かさを差し出します」
「みんなにわたしは心の平和を差し出します」
「みんなにわたしは優しさを差し出します」
などがありました。
祝福、安らぎ、喜び、愛を差し出すなら、それが返ってくるのですね♥️
とてもシンプルです。
ですが
エゴの思考体系なら
警戒、疑念、攻撃、防衛…などを差し出していたかもしれません♡
今年もツバメのホテルになりました😊
夜だけ寝にきます😍
真実vs幻想
真実は分離のないたった一つの
神と神の子の幸せな大家族。
分離のドラマはなく
平安と喜びを創造し
拡大している。
幻想は
肉体で区切られた
70億人の人がいるように見えて
互いに神から分離した罪悪感を投影し
非難しあっている。
エゴを教師に選ぶなら分離。
聖霊を教師に選ぶなら真実。
この二つは融合しない。
神の世界を幻想に持ち込むことはできない。
だから、🆚ではないのだけど
心は
エゴを選ぶか
聖霊を選ぶかで迷っている。
つまり、それは
真実か幻想か
恐れか愛か
の選択。
最初は聖霊の存在すら知らない
エゴ一択のところから
少しずつ聖霊に心を開いてみようという気持ちになってくる。
幻想が現実だと思っていたけど
本当は違うの?
分離がない世界があるって本当?
そちらを選べるなら選びたいわ。
↑(今、この段階です笑)
奇跡のコース、ワークブック
実況中継でした♫
それでは、
皆さん今日も
聖霊と共に過ごしましょう😊
ヤバイ!このままいくと幸せになってしまう
どうも、幸せになっちゃう予感に危機を感じています笑
今日はコースのワークブックのレッスン104です。
このまま
ワークブックのレッスンを続けていくなら、
間違いなく幸せになっていく…
ヤバイ!!笑
何がヤバイって
自我は消滅する危機を感じているわけです笑
自我の思う幸せは
状況が変わること。
何かを獲得したり、
改善することで幸せになると信じている。
前提には「今のままではダメ」という否定感、欠乏感がある。
否定感、欠乏感は外側の状況が変わることで一時的に埋まったように感じられるのだけど、
自我はまた不足を見出して、
不幸と苦しみのスパイラルは続く。
自我の救済計画は
「探せよ、されど見つけることなかれ」なのである。
なので
救済計画に導かれたいわけです。
神の救済計画は
「そもそも
自我、実在してないし
この世界は実在してないし
罪なんてないし
分離なんてないし
今までの思考体系
間違っちゃってるよ
訂正しちゃいなよ★」
ってな感じで
根底からひっくり返してくれるわけです。
状況が悪!!
状況が苦しみの源!!
というところから
心が苦しみの源!
しかもその苦しみは自分で生み出したもので
そもそも実在していない、幻。
ということを明らかにしていくわけです。
確実に幸せになると思いませんか?
あ、思いません??笑
わたしも思えなかった派ですので
お気持ちはよく分かります。
それだけ自我の思考体系に欺かれておりますので。
じわじわと心の訓練中なのです😊
ワークブック レッスンの経過報告でした。
お付き合いくださり、ありがとうございました♫
ただ幸せであっていい
私たちは理由なく
ただ幸せであることが
ナチュラルな存在なのですが
それが受け入れられず
罪悪感にまみれ
投影された世界を見て
苦しい、不幸だ!
と、自作自演のドラマを
続けているのですね笑
今日は
ただ幸せであることを感じようと思います♥️
相手を肉体として見ることは攻撃
もはや…
コースの学習者でなければ
意味不明のタイトルかとは思いますが笑
愛さんのYouTubeより
気づきいただきました。
わたしを攻撃してくると感じている方がおられ
わたしは一方的に攻撃されている
と、感じていて
人間的対処法として、
スルーしている感じでした。
とりあえず、自分の恐れは手放し
罪悪感も気づくたびに手放し…
していたのですが
コレって赦しではないよなぁ
なんか足りない…
ということで
上記のYouTubeのことを
思い出し
再度、聞いてみました。
そう、
わたしは
お相手の方を肉体と見做していた。
わたしはスピリット
相手は肉体…
笑
わたしは清らかな被害者
(何も悪くない)
相手は卑屈な人で
いつも誰かの悪口を言っている人
↑
これ、十分、攻撃
笑
そんな風にお相手を見ておきながら
相手を一方的に悪者に仕立て上げるという
カラクリに気づき、笑ってしまいました。
特別性、個人性を手放すことで
天国に還れるのであれば
いつでも手放すよー
と、思っていたのに
全然、手放してない笑
本音はあの人と一緒に天国には還りたくない。
と、思っているんだなぁ
自我は笑
この世界の人、全てと一つになることで天国に還るんですね。
一歩一歩、歩んでいきます。
ちょっと笑える気づきでした。
もちろん、聖霊に
その方と一つであることを
思い出させてくださいと祈りました。
その後、芋づる式に
過去、わたしが相手の方を加害者に仕立て上げた
数々の事例が思い出され笑
すべてを聖霊に預けました。
心をオープンにしていきたいものです♥️
やっぱり大元は罪悪感!!
「罪悪感をもたない者には恐れがありません」
ワークブック レッスン98-3より。
罪悪感がなければ
恐れってないよなぁと
なんとなく気がついてきていたところ
レッスン98の説明文で
この文章が出てきて
やっぱりーーー!!と思いました。
コースで言うところの、罪悪感とは…
「したこと、しなかった事に対して、悪かったと思う」という言葉よりも広範囲で使われています。これらは氷山の一角に過ぎず、
自分自身について抱いたことのある全ての否定的な感情と信念と経験の総和。
自己嫌悪、自己拒絶、無能力、失敗、空虚感、欠如、物足りなさなど。」
はい、想像してみて!
これが根こそぎなかったら
あなたが動揺するような人間関係や出来事は
なくなるんですよ。
状況がなくなるんじゃなくて
状況が問題じゃなくなるんですよ!!
ってことで、
やっぱりやることは
心の訂正なわけです〜♫
もうすぐ、レッスン100
心のカラクリが
実践しながら、分かってきて
ハードながらも
面白く感じられてきています♫
100日間、神に少しでも心を向けられた事を褒めたいと思います♫
少しずつでも心は訓練されているようです😊